福岡地方裁判所小倉支部 昭和43年(ワ)1078号 判決 1972年3月30日
原告
河内ハツエ
代理人
三浦久
外四名
被告
関原敬次郎
代理人
加藤美文
被告
綾好典
被告
北九州市
右代表者病院局長
河原益武
右被告両名代理人
身深正男
主文
被告綾好典、同北九州市は、原告に対し各自金五〇万円およびこれに対する昭和四三年四月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告の被告関原敬次郎に対する請求および被告綾好典、同北九州市に対するその余の請求を棄却する。
訴訟費用中、原告と被告関原敬次郎との間に生じた分は、原告の負担とし、原告と被告綾好典、同北九州市との間に生じた分は、これを六分し、その一を原告の負担とし、その余を右被告らの負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告
被告らは、原告に対し各自金一九九万円およびこれに対する昭和四三年四月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は、被告らの負担とする。
との判決。
二、被告ら
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
との判決。
第二、当事者の主張
一、請求原因
(一) 当事者の地位
原告は訴外亡河内光(以下光という。)の実母であり、被告関原は光を診療した当時整形外科、理学療法科医院を経営していた医師であり、被告綾は右当時被告北九州市が経営管理する北九州市立門司病院(以下市立門司病院という。)に勤務していた医師であり、被告北九州市は被告綾の使用者であつた。
(二) 光の死亡および死因
光は、昭和四三年四月二一日午後二時市立門司病院で破傷風のため死亡した。
(三) 被告関原、同綾の各診療行為および過失
1、光は、北九州市小倉区砂津所在の有限会社小倉山吹蒲鉾店に勤務していたが、昭和四三年三月二五日右会社の工場内で作業中に左手中指を負傷した。ところが、右傷口から破傷風菌が侵入し、そのため受傷後一五、六日経つた同年四月一〇、一一日頃「全身がだるい、のどが痛い。」との症状を訴え、日が経つにつれて口が開きにくくなり、同月一四日夜には口に軽いけいれんを起こすようになつた。
そこで、光は、同月一五日午前七時頃近所の一安内科医院で診察を受けたが、口が開かないので診察ができないため、同医院で耳鼻咽喉科へ行くように指示された。
2、光は、同日午前八時頃被告関原経営の関原医院へ行き、同被告の診療を受けたが、同医院でも診断がつかず、さらに同日午前一一時頃同被告の指示で杉本耳鼻咽喉科へ赴き、杉本医師の診察を受けた。同医師から破傷風の疑いがあるが詳細は被告関原に電話するから関原医院へ戻るようにといわれた。そこで、関原医院へ戻り、同医院に入院したが、同日は同医院では破傷風の治療は一切されず、翌一六日には光の症状は段々悪化し、けいれんが激しくなつてきた。そこで、光の親兄弟は光を市立門司病院へ転院させることにしたが、同日の午後には、光は全身硬直して棒立ち、弓なりにそるようになり、言葉もうわずるような症状を呈するようになつた。
3、そして、同日午後一時半頃、光は、市立門司病院で被告綾の診察を受け、同日同病院に入院したが、被告関原が同病院宛の添書に病名として「てんかん性ヒステリー」と記載していたこともあつてか、被告綾も、光の兄正人の破傷風ではないかとの疑問を否定して、「てんかん性ヒステリー」と診断し、以後同月二〇日午後三時頃まで光の疾病が破傷風であることに気がつかず、その治療をしなかつた。
その間同月一八日頃から光の容態が急に悪化し、全身のけいれんが一〇ないし二〇分間隔で起こり、身体の衰弱が目立つてくるようになり、同月一九日光の兄弟が、家庭医学書に書いてある破傷風の症状が光の症状と全く同一なので、被告綾に対し「破傷風と考えるから血清注射をしてくれ。」と頼んだが、同被告はまだ光が破傷風に罹患していることに気がつかず、そのため破傷風の治療を行わなかつた。
同月二〇日になつて、被告綾は、ようやく光の疾病が破傷風であることに気がつき、同日午後三時一五分になつてはじめて五万単位の血清注射を施したがまにあわず、光は苦しみのうちに同月二一日午後二時死亡した。
4、被告関原は、前記2記載の如く、杉本医師から光には破傷風の疑いがあることを知らされていたのであるから、光の症状から判断して、現代医学の常識上注意すれば直ちに同人の疾病は破傷風と診断できたにもかかわらず、右注意を怠つた過失により破傷風と診断できず、その結果破傷風の治療をしなかつたのみならず、市立門司病院宛の添書に誤つててんかん性ヒステリーと病名を記載し、被告綾の後記過失を誘発した。
5、被告綾も、前記3記載の如く、最初の診察の際、光の兄から破傷風ではないかと念を押されていたのであるから、光の病状から判断して、現代医学の常識上注意すれば直ちに同人の疾病は破傷風と診断し得たにもかかわらず、右注意を怠つた過失によりてんかん性ヒステリーと誤診し、その結果破傷風に対する適切な治療をしなかつた。
6、以上で明らかなように、光が死亡したのは、被告関原、同綾の各診療行為上の過失に起因するものである。
よつて、被告関原、同綾は、原告に対し光の死亡により原告の蒙つた後記精神的損害を賠償すべきである。
(四) 被告北九州市の責任
被告北九州市は、被告綾の使用者として、民法七一五条によりその責任を負うべきである。
(五) 原告の損害
原告は、被告関原、同綾の誤診によつて、連日に亘つて光のこの世のものとも思えない苦しみを見、共に苦しんできた。そして、苦労して育ててきた子供を失い、その悲しみは極めて深い。
社会的に地位も高く、患者から信頼されなければならない医師の医学技術上の過失は、その社会に及ぼす影響からいつても厳重にその責任を問われなければならない。
原告の右精神的苦痛に対する慰藉料は、金銭に見積ることは困難であるが、その額は金一九九万円を下らないものとみるのが相当である。
(六) よつて、原告は、被告らに対し各自右損害金一九九万円およびこれに対する光が死亡した日の翌日である昭和四三年四月二二日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、請求原因に対する被告らの認否<略>
第三、証拠<略>
理由
一、請求原因第一項の被告らの地位については、当事者間に争いがなく、原告が光の実母であることは、原告と被告関原との間に争いがなく、被告綾、同北九州市の関係においては、<証拠>により右事実を認めることができる。
二、光が原告主張の日時、場所において死亡したことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、その死因は破傷風によるものと認めるのが相当である。
三、そこで、光の死亡が被告関原および同綾の診療上の過失によるものであるかについて検討する。
(一) 光の死亡に至るまでの症状および治療の経過
光が原告主張の店に勤めていたこと、光が原告主張の右日時に一安内科医院で、ついで、被告関原の、さらに、同被告の指示で杉本耳鼻咽咽科の杉本医師の各診察を受けたこと、光が原告主張の日時に被告関原の添書を持つて市立門司病院へ行つたこと、被告関原が右添書に病名としてヒステリーの疑いと書いたことは、原告・被告関原間に争いがなく、光が原告主張の日時に市立門司病院に赴き、被告綾の診察を受けたこと、その後間もなく光が同病院に入院したこと、被告綾が原告主張の日時に光に対し血清注射を打つたことは、原告、被告綾、同北九州市間に争いがない。
前記二の事実ならびに右の争いのない事実および<証拠>を総合すれば、
1、光は、昭和一一年五月一日生であつて、山吹蒲鉾店に勤めていたが、昭和四三年三月二五日頃同店で調理作業中に左手中指を負傷し、約15.6日経つた同年四月一〇、一一日頃から食欲がなく、身体がだるい旨訴え、同月一二日の朝食後頃から開口制限が始まり、同月一四日の夜から口に軽いけいれんを起こすようになつた。
2、そこで、光は、同月一五日午前七時頃一安内科医院で診察を受け、同医院で耳鼻咽喉科へ行くように指示された。
3、ついで、光は、同日午前八時頃整形外科、理学療法科の開業医である被告関原経営の関原医院へ行き、同被告の診察を受けたが、この時光には開口制限、言語障害、頸部硬直、軽度のけいれんの発作、身体がだるい等の症状があつたので、被告関原は、破傷風の疑いがあると考え、光に対し診察時の三週間ないし一ケ月程前に外傷を受けたことがないかを尋ねたところ、光は受傷の事実を否定したが、それでも、被告関原は光の全身を診て傷がないかを調べたが、傷はみつからなかつた。そのため、被告関原は、開口制限の原因となる鼻腔、口腔内の創傷の有無等を調べるために、耳鼻咽喉科の杉本医師に対し光は破傷風の疑いがある患者である旨を伝えたうえで、右検査を依頼した。
杉本医師の検査結果では、光の鼻腔、口腔内には破傷風の原因となる傷はなく、開口制限を起こすような原因も見当らなかつたので、同医師は、電話でその旨被告関原に連絡すると共に破傷風かも知れないが、はつきりしたことはわからない旨をも伝えた。
杉本医師のもとから帰つた光は、同日関原医院に入院したが、被告関原は光の病名を破傷風と疑いながらも、経過をみないとその確定ができず、一方光に外傷のないところから光の病名をノイローゼ(ヒステリー)とも疑つた。そして、同被告は、光に対症療法を施しながら経過をみようと考え、同日は抗けいれん剤の注射、筋肉弛緩剤の注射、服用、リンゲル注射等の対症療法を行つたが、同日中光の症状としてさらに全身けいれんが現われ、同日午後九時の熱は三六度七分であつた。
翌一六日には光は全身けいれんが増加してきて、被告関原は、破傷風の症状と認めたが、今しばらく光の経過を見るため、筋肉弛緩剤の注射、リンゲル注射等の対症療法を行い、同日午前八時の熱は三七度であつた。
ところが、同日午前一〇時頃光の家族が総合病院である市立門司病院への転院を希望したので、被告関原はこれを許可し、光は同日午後一時頃関原医院を退院したが、被告関原は前記の如く光の病名については破傷風またはヒステリーの疑いを抱いていたが、光が受傷の点を否定し、市立門司病院の内科で受診するということであつたので、同被告の名刺の裏を利用して作成した市立門司病院宛の添書にはヒステリーの疑いと記載した。
被告関原は血清注射を打つことも十分考えたが、創傷も確めえず、臨床的所見からもまだ破傷風との確定ができなかつたので、血清注射をすることによつて起る危険のことも考えて光の退院までには血清注射は打たなかつた。
4、光は、同日午後二時過頃市立門司病院において同病院心療内科勤務の被告綾の診察を受けたが、その診察によれば、光には開口制限、後弓反張、全身の強直等の症状がみられたが、熱は三六度九分のほぼ平熱であつた。そして、被告綾は、光の家族から破傷風ではないかと尋ねられ、また、右症状から一応破傷風の疑いを抱いたので、光に対し最近の受傷の有無を尋ねたところ、光が受傷の事実を否定したので、破傷風になるには患者がその傷によつて悩むような傷を負つた場合に限ると過去の経験により考えていた同被告は、光に対する破傷風の疑いを一応否定し、光の病名を前記のような症状がみられる炎症性ミオクロヌスの疑いまたはヒステリーの疑いとみた。なお、被告綾は、右初診に先立ち被告関原の前記添書を見て、これを参考に初診に当つたが、その後の治療方針はこれに拘束されることはなかつた。
光は、同日午後四時三〇分市立門司病院に入院し、被告綾は、同日午後五時頃再び光を診察したが、光には初診時と同じ症状がみられ、同被告は、ヒステリーの疑いを否定して炎症性ミオクロヌスの疑いのもとに、同日は光に対し抗けいれん剤、鎮静剤、抗生物質等の使用、呼吸管理等の治療を行つた。
その後光の症状は、翌一七日から同月一九日までも被告綾初診時の開口制限、後弓反張、全身の強直等の症状が続き、同月一七日には頸部緊張があり、同月一八日からは強直状けいれんが加わり、意識は比較的はつきりしていたが、被告綾はその間光に対し同月一六日と同様の各種治療を行い、熱は一七日には三七度前後あり、一八、一九日には三八度近くまで上つた。排尿は市立門司病院の入院時からなく、一七日午後八時頃はじめてあつた。
被告綾は、一八日にも光の家族から光の疾病は破傷風ではないかとの質問を受け、さらに同月一九日の朝も光の家族から、家庭医学書に書いてある破傷風の症状と良く似ているが、破傷風ではないかと尋ねられたのに、破傷風とは思いたくない旨答えて、光の疾病が破傷風であるとの疑いを抱かず、一九日の午後光の家族が被告綾に血清注射を打つて欲しい旨頼んだのに打たなくてもよい旨答え、依然破傷風の疑いを抱かなかつた。
そして、同月二〇日も光の症状は変らず、被告綾は引続き前日来と同様の治療を行つたが同日午後二時頃に光の家族から光が二週間前に指の尖端に傷を負つて化膿したことがあるときき、光の指を調べ左手の中指に一ケ月以上は経過したと思われる傷痕を発見し、これとこれまでの光の臨床症状とを併せ考えて、光の疾病は破傷風ではないかと始めて疑い、血清注射を行うこととしたが、この時熱は三八度八分であつた。そして、被告綾は、同日午後四時過血清のテストを行い、マイナスの結果をえて、同日午後五時二〇分頃破傷風血清四万八、〇〇〇単位を注射したが、同日夕方の熱は四〇度を越えたが、同日依然軽度のけいれんが五ないし一〇分おきに来た。
翌二一日光の症状は、開口制限があり、けいれんを短時間繰返し、被告綾は、前日来の治療を行うと共に、同日午前七時頃破傷風血清をさらに二万四、〇〇〇単位注射した。しかし、同日は四〇度以上の熱が続き、遂に同日午後二時光は死亡した。そして、光の死因は破傷風であつたが、直接の死因は嚥下性肺炎であつた。
以上の事実が認められ、<証拠判断―略>。
(二) 破傷風の症状、診断、治療等
<証拠>を総合すれば、
1、病理
破傷風は、通常創傷を受けると同時に傷口から破傷風菌が身体内に侵入し、潜伏期は最短二日から最長六ケ月以上に及ぶこともあるが、大多数の場合六日ないし一五日であるが、この潜伏期間とは、破傷風菌が身体内に侵入した後、後記破傷風の症状とみられる一定の症状が現われるまでの期間をいうものである。そして、破傷風の症状は破傷風菌が発育する際に産出される毒素が中枢神経に結合して惹起されるものである。
2、症状
発病した場合の患者の症状は、通常牙関緊急(開口制限)、頸部硬直、後弓反張、全身性の強直性けいれんがみられ、体温は発病当初は平熱または微熱程度であるが、後には中等度ないし高度の発熱をきたし、尿量は減少して熱性尿の所見を現わすが、反面意識は全く明瞭である。
3、診断
現在未だ破傷風菌を検出するといつた破傷風の確定的診断方法はないが、破傷風の右臨床症状は特有であるため診断は比較的容易である。したがつて、右症状がみられた場合には破傷風の疑いを抱くべきである。
もつとも、破傷風の診断には創傷の有無が重要な役割を果たすが、鼻腔、口腔、子宮、消化管の粘膜の創傷からも破傷風菌が侵入するともいわれているので、右症状がみられる場合には、創傷が発見できない場合でも破傷風と疑わなければならない場合がある。破傷風と類似の症状を呈する疾病には炎症性ミオクロヌスやヒステリーや血清病がある。
4、治療
破傷風の治療方法としては、化学療法、抗けいれん剤の使用等によるけいれん緩解療法、呼吸管理、栄養低下によつて起る合併症を防ぐ栄養療法、創傷部の外科的療法等も勿論必要ではあるが、血清注射をすることが極めて必要な治療方法である。血清注射によつてもすでに神経細胞と結合した毒素の中和は不可能であるから、毒素がまだ血液内または組織中にある間に血清注射をすべきである。したがつて血清注射は早期に大量に注射する必要があり早期に注射する程効果が大きいから、破傷風であるとの疑いを抱いたなら、血清注射をして差し支えないし、また使用すべきである。もつとも、血清注射にはアナフラキシー(過敏症)、アレルギー等の場合には危険が伴うが、注射前にテストを行い安全性を確めてやれば右危険をのがれることができる。
5、予後
破傷風の死亡率は、潜伏期間が短い程高く、破傷風に対する標準的治療がなされたとして、大略三〇パーセント、潜伏期間が一週間以内の場合には五〇パーセント以上にものぼるといわれるが、また血清注射使用前においては八五パーセント、血清注射使用後においては、潜伏期間が二ないし一〇日の場合は約58.1パーセント、一一ないし二二日の場合は約35.3パーセント、二二日以上の場合は約17.3パーセントである旨の報告がある。
以上の事実が認められ、<証拠判断―略>。
(三) 被告関原および同綾の診療上の過失の有無
1、前記(二)記載のとおり、医師としては、破傷風であるとの疑いを抱いたならば、早期に血清注射をすべきであるから、医師が患者の症状等から破傷風の疑いを抱くべきであるのにこれを抱かず血清注射の時期を失したとすれば、その医師には診断上の過失があつたものというべきであり、また、患者の症状等から破傷風の疑いを抱き診断上の過失はなかつたとしても血清注射の時期を失したときは治療上の過失があつたものというべきである。そして、右過失の有無の判定に当つては、その医師の置かれた具体的な諸条件を十分に考慮する必要がある。
2、そこで、まず、被告関原の過失の有無について判断する。
前記(一)認定のとおり、被告関原は、昭和四三年四月一五日午前八時頃光を最初診察した時から翌一六日午前一〇時頃転院の申出があり同日午後一時頃退院するまでの間、光の症状等から破傷風の疑いを抱き続けたものであるが、光が発病前約一ケ月間の受傷の事実を否定し、光の症状にも破傷風の症状と確定できないものがあるのを感じて、光に血清注射をしなかつたものである。
前記のとおり、医師としては、破傷風と確定できなくても、破傷風の疑いを抱いたならば、血清注射をすべきであるが、被告関原として、若干の期間光の症状の経過を観察して、破傷風の症状が継続するのを確めて後、光に対し血清注射をすることも許されたものというべきである。
すると、被告関原の医院に光が来診したのは一五日午前八時頃であり、同日入院し、退院の申出があつたのは翌一六日午前一〇時頃で同日午後一時には退院したものであつて、被告関原としては右期間程度光の症状の経過を観察することは許さるべきことであつたといわねばならない。
なお、原告は、被告関原が市立門司病院宛の添書にヒステリーの疑いと記載したことが被告綾の誤診を誘発したもので、被告関原にはこの点につき過失がある旨主張するが、前記(二)記載のとおり、ヒステリーも破傷風類似の症状を呈するものであり、前記(一)認定のとおり、被告綾は被告関原の添書記載に拘束されて光の診療をしたものではないので、被告関原の右添書をもつて診療上の過失があつたものともいえず、また被告綾過失の原因となつたともいえない。
以上のとおりであつて、被告関原に診療上の過失があつたことを認めるに足るその他の証拠はないので、被告関原に対する原告の請求は理由がない。
3、つぎに、被告綾の過失の有無につき検討する。
前記(一)認定のとおり、昭和四三年四月一六日に市立門司病院に入院した際の光には、破傷風の症状である開口制限、後弓反張、全身の強直等の症状がみられ、翌一七日以降も右症状が継続し、一六、一七日の発熱および排尿状態も破傷風の症状に合致しており、一六日の初診時光の家族から破傷風ではないかと尋ねられているので前記(二)の破傷風の症状、診断等に照らせば、たとえ創傷が発見できなかつたとしても、被告綾としては、遅くとも一七日中には光の症状は破傷風の疑いがあるとの診断をすべきであつたといわねばならず、この点において被告綾には診断上の過失があつたものである。
したがつて、被告綾としては、遅くとも同日中に血清注射をすべきであつたのに、前記(一)認定のとおり、被告綾は、血清注射以外の破傷風に対する治療を行い、同日中には血清注射をせず、同月一八、一九日にも光の家族から破傷風ではないかとの質問を受けながらも光が破傷風であるとの疑いを抱かず、同月二〇日に光の家族から光の指の創傷の話を聞いてはじめて破傷風ではないかとの疑いを抱き、同日の午後五時二〇分頃になつてようやく血清注射をしたものであつて、この点において被告綾には治療上の過失もあつたものである。
(四) 被告綾の診療上の過失と光の死亡との因果関係
前記(二)の5の記載によれば、破傷風の死亡率は潜伏期間が短い程高く、血清注射使用前においては八五パーセント、血清注射使用後においては潜伏期間が二ないし一〇日の場合は約58.1パーセント、一一ないし二二日の場合は約35.3パーセント、二二日以上の場合は約17.3パーセントであるが、前記(一)、(二)の事実によると、光に対し血清注射がなされた四月二一日午後五時二〇分頃にはすでに破傷風菌の毒素が中枢神経と結合して、血清注射の時間を失していたもので、結局血清注射はその効を奏しなかつたもので、光は前記八五パーセントの死亡率の中に入り死亡したものと認められる。そして、前記(一)認定事実によれば、光の潜伏期間は一八日ないし二一日であつたと認めるのが相当であるから、光に対し遅くとも一七日に血清注射がなされていたならば、破傷風菌の毒素が中枢神経とまだ余り結合することもなく、光はおおよそ35.3パーセントの死亡率にとどまつたものということができ、光は被告綾の過失により約64.7パーセントの生存の可能性を奪われたことになる。
以上の事実によれば、光の死亡と被告綾との過失の間には相当因果関係があるものというべきである。
そこで、被告綾は光の死亡による原告の損害を賠償する義務がある。
四、被告北九州市が被告綾の使用者であることは、原告、被告北九州市間に争いがなく、前記事実によれば、被告綾の光に対する診療は被告北九州市経営の市立門司病院の事業としてなされたものというべきであるから、被告北九州市は、被告綾と連帯して原告の損害を賠償すべき義務がある。
五、前記のとおり、光は死亡当時満三一才の未だ将来のある成年男子であり、原告は光の実母である。
したがつて、原告が、被告綾の診療上の過失による光の死亡により深甚な精神的苦痛を蒙つたことは推測するに難くない。
右の事実に被告綾の社会的地位、同被告の過失の内容、市立門司病院が公立の総合病院であること、証人河内初江の証言によれば、光には妻および二人の子供がいることが認められること、その他諸般の事情を考慮すると、光の死亡による原告の精神的苦痛に対する慰藉料は金五〇万円をもつて相当と認める。
六、以上のとおり、被告綾、同北九州市は、原告に対し各自右損害賠償金五〇万円およびこれに対する光の死亡の日の翌日である昭和四三年四月二二日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである。
したがつて、原告の本訴請求は、右の限度で理由があるから、これを認容し、被告関原に対する請求および被告綾、同北九州市に対するその余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(矢頭直哉 三村健治 武田和博)